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父の死を迎えて今、想うこと

こんにちは。さくら整体の山道です。


私事ですが、父が11月に91歳で永眠しました。


父は、76歳の時に肝臓がんが見つかり、それから膀胱がん、大動脈解離、前立腺がんと様々な病気を抱えながら入退院を繰り返していました。


今年の夏からは寝たきりになり、病気の痛みと褥瘡の痛みが全身にまわり壮絶な光景でしたが、最期は穏やかに旅立ちました。


今回は、私のこれまでの父との関係性や最期をお看取りし、私なりに感じている正直な今の気持ちをお伝えできたらと思います。


どうぞ最後までごゆっくりご覧ください。



飲んだくれの父が嫌いだった


父は若い頃からかなりのお酒のみで、それが原因で母と毎日のように喧嘩していた様子は今でもはっきり覚えています。


思い返すと楽しい思い出もあるのですが、当時は酔っぱらって帰ってくる父が嫌で嫌でたまりませんでした。


階段から落ちてケガをしたり、田んぼに落ちたり、飲み屋さんで一緒になったであろう知らない酔っぱらいを家に連れてきたり…


それはもう毎日毎日、父に振り回されてばかりで。


その当時を思い返すと、思い浮かべるのは母の怒った顔や泣いているところで娘の私は母の感情にシンクロしながら父を見ていたんだと思います。



当時、小さかった私には父を「大嫌い」だと思っていました。



母の死、そして再婚


私が中学生の時に母が亡くなりました。白血病でした。


父も気落ちしていたと思いますが、当時、私は反抗期真っただ中で母を失った悲しみもあり、父から話しかけられても無視をしていました。


今考えると自己中心的で父に申し訳ないと思っていますが、当時の私にとって母が亡くなったのは父のせいだと思ったところもありました。


高校生になる頃には、私の反抗期も落ち着き、父に対する態度も徐々に柔和になっていきました。一緒に出掛けたりすることもありました。


そして私が19歳の時に、父は今の母と再婚。


夫婦仲はとても良く、父の幸せそうな笑顔を見て「良かったなぁ」と思っていましたが、でもなぜか父に遠慮する気持ちがあり…


父にあまり近づきすぎないように無難な距離感で接していました。



父の余命宣告


私が43歳の時に、当時76歳だった父は肝臓がんの手術後に昏睡状態になり、主治医から「あと1週間の命です」と余命宣告を受けました。


その時、父がいなくなってしまう…と考えると、私は初めて父への自分の思いにようやく気付きました。


お酒飲みで色んな迷惑をかけられて…


でも母の死や、再婚でうまく父との距離を縮めることができなくて…


「私は父さんを求めていたんだ。本当はずっと大好きだったんだ。甘えたかったんだ」


と、ようやく自分に蓋をしていた気持ちに気付くことができました。


なので徐々に回復していく父をサポートするのがとても嬉しかったんです。



整膚でお看取りができた喜び


今年の夏に父は寝たきりになりました。そんな父へ、少しでも身体が楽になればと、『整膚』を行いました。


父は、「気持ちいい」と喜んでくれて…


その姿をみると「整膚に出会えてよかったなぁ」と、感謝の気持ちでいっぱいになりました。


いよいよ父との最後のお別れの時間…


お恥ずかしい話ですが、昏睡状態の父の顔に自分の顔をすり寄せて思いっきりベタベタと甘えました。


本当はもっとずっと前に甘えたかったのに。その気持ちに蓋をして、傷つかずに良い距離を保って自分自身を守っていたんです。



小さい頃は、お酒のみの父が苦手で。


母の死や再婚をきっかけに、うまく距離感をつかめなくなって。


そして、余命宣告を受けてようやく父が大好きなことに気づけて…。


その大好きな父に触れながら最期の時間を共有し、ありがとう大好きだよの気持ちを指に乗せて整膚を行うことができました。


最期の時間まで父の身体に触れてお別れができたことが、私にとって本当にありがたいことで悔いの残らないお看取りが出来たことに感謝しています。



今回、ブログを通して初めて自分のこれまでの経験を文字に起こしてみました。


正直、始めは全然思うように文章にできずにいましたが、書いた文章を荻野さんに見てもらい色々な過去の記憶を引き出してもらううちに、心を込めた文章を書くことができました。


私のこれまでの歩みは、すべて宝物です。


それを今回、気付くことができました。


その想いを持って、これからもお客様に喜んでいただけるお仕事をしていきたいと思います。







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